柴窯012
柴窯
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北宋朝直前の五代時代・後周の皇帝、柴世宗( 954~959 )が、『雨過天青』の青磁を焼かせたと言われるのが柴窯であるが、勿論、その作品も窯跡も現在まで発見されていない。
しかしながら、≪中和堂コレクション≫に所蔵されるこの4点の作品は、『雨過天青』青磁すなわち柴窯青磁器であると確信するものである。
その根拠として、作品番号12の底には「?南」の文字が暗花で刻識されており、更に、作品番号15の胆瓶の底には「南唐」と明瞭に暗花刻識されていて、これらの作品が五代十国期・南唐国(937~975)で創られたことが容易に判断でき、この年代は、柴世宗が後周在位中に三度の南唐国遠征を行った事実と合致するのである。
さらに、これらの作品が醸もし出す独特の品格と高貴さは、創窯以来900年の技術の蓄積と、唐中期から五代十国時代に一世を風靡した「秘色青磁」を既に開発済みの越州窯(呉越国のちの南唐国周辺に在った)の技術陣が、総力を揚げて初めて可能な、極めて難しい磁器であったと想像出来るからである。そして、それまでの「秘色青磁」を超え、まったく斬新で、どんな貴人でも瞠目するような、『雨過天青』色をした青磁器を創らせたのは、時の皇帝だからこそ出来たはずである。
巷間に伝えられる幻の「柴窯」とは、官窯としての窯名のことを言っていた訳ではなく、柴世宗が特別に所望した『雨過天青』色をした柴窯青磁器のことであり、貢献磁としての特別な磁器のことを刺すと解釈した方が自然であろう。
従来の古文書などから、「柴窯」あるいは北宋の「汝官窯」の青磁器の釉薬は、純良な石英を主成分とする瑪瑙鉱石を擦ったものと羊歯の灰を調合して使用したと言われ、≪中和堂コレクション≫に所蔵されるこの4点の作品に共通している状態として、底辺りの釉溜まりなどを仔細に観察すると、融け切れなかった瑪瑙鉱石の細粒が見つかるが、薄く掛けた汝官窯の釉では滅多に見つからない。
瑪瑙鉱石の痕跡がこの作品で確認出来たことは大発見であろう。
わずかに白味を感じる淡い青色の釉調は、まさにこれが『雨過天青』の色だろう。
「柴窯」の釉はかなり厚くたっぷりと掛かり、微細に貫入していて白濁しているが、柴窯磁器の作品に共通している胎土は香灰のように薄ピンクをした灰白色で、焼き上がった器体は叩くと鈍い音がして陶質(銅骨と様だと言われた)を感じさせるものである。
「柴窯」としての品格として『雨過天青』色をしていることは勿論であるが、作品番号14の水仙盆のように縁のカーブを前後で変えるとか、作品番号15のように作品の正面を限定するとか、あくまでも所望者の目線を意識して焼成される設計思想は、この後につづく≪官窯≫様式の魁になったことは間違いない。
≪中和堂コレクション≫宋竹仙
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